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リストマーク 当院縁結びの起源「オンダケサンマイリ」 

2009年05月08日 ()
阿蘇山には、室町時代から戦前まで行われていた阿蘇講「オンダケサンマイリ」という行事があります。

江戸時代には春と秋の彼岸に山伏の先導で山を登り、火口をお参りしていました。こうして火口をお参りすることを「オンダケサンマイリ」と呼んでいたのです。
昔は今のように自由に旅行することもできなかったため、農閑期に「寺社仏閣へのお参り」という名目で旅行することを、人々は本当に楽しみにしていたそうです。

古来より山は神秘的なもので、彼岸の行事として山を登るという形態は全国的に多く見られます。
阿蘇の場合は火口詣でが目的とされ、現在の山上阿蘇神社の裏にある「写経ヶ橋(別名を左京ヶ橋)」を渡ることに重きが置かれました。

写経ヶ橋

写経ヶ橋」はこの写真でも分かるように溶岩の流れた痕で、ごつごつと隆起しており、蛇腹のような形をしています。
心が清らかな者でなければ、この「写経ヶ橋」がまるで大蛇のように見え、渡ることができないと言われていました。
その昔、熊本の「マスヤ」という米屋の娘がこの橋を渡ることができず、その悔しさに身もだえするあまり蛇になったとも伝えられています。
この「マスヤ」は、米を仕入れるときには大きい枡を使い、売るときには小さい枡を使うという二重枡を行っていたと言われていますから、そのせいでこの娘は写経ヶ橋を渡れなかったのでしょう。

この橋を渡ることが結婚の条件とされた時代もあり、特に若い女性には重視されました。同じような風習は福岡県の甘木地方にも昔はあったそうで、「英彦山参りをしていない男性には娘を嫁にやるな」と言われていたこともあったそうです。

熊本においては、「オンダケサンマイリ」をすることは通過儀礼であり、これによって結婚の資格が発生するということになります。火口という聖なる空間に行くということは、現在の言葉でいえばパワースポットを訪れるという意味合いがあったのです。
伝承では、「オンダケサンマイリ」をし、ここで夫婦の契りを交わすことも多かったといわれ、古来より阿蘇縁結びの山として認知されていたのです。

阿蘇山上神社横にあります

今でも「写経ヶ橋」は、西巌殿寺奥之院すぐ裏手にある山上阿蘇神社の拝殿左手からその姿を見ることができます。残念ながら今では安全上の規制により立ち入り禁止になっているため、その姿を見るだけで渡ることはできませんが、当時の阿蘇詣でとオンダケサンマイリの様子を伺い知ることができます。

この橋が大蛇に見えるか、聖なる阿蘇への道しるべに見えるのか・・・試してみるのも面白いかもしれません。
[2009.05.08(Fri) 15:15] 今日の奥之院Trackback(0) | Comments(0)
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