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2011年01月21日 ()
西厳殿寺奥之院には、五縁紐というご縁を取り結ぶための縁起物がありますが、もともとこのあたりには、古くから縁結びにかかわる「オンダケサンマイリ」という習わしがありました。

きょう紹介するのは、古い言い伝えを現代語にしたものです。
昔話風ですが、オンダケサンマイリが縁結びに欠かせない行事になっていったいわれが分かります。

*******

昔むかし江戸のころ、熊本にマスヤという大きな米問屋があり、年頃の娘がおりました。
当時の熊本地方では、年頃の娘たちは「写経ヶ橋」という溶岩の橋を渡って、霊山 阿蘇山を詣でるのが常でした(オンダケサンマイリ)。

この娘も例に漏れず、七人の同じ年頃の娘たちを誘い、縁起の良い日を選んでいそいそと出かけていきました。
きれいな着物にはやりの京極どんすの帯を締め、めかしこんだ娘たちが阿蘇を目指して大津の町を歩くと、若い衆が表へ出てきて誉めそやします。

さらに進んで阿蘇坊中の町で、娘たちはお坊さんに道を尋ねました。

「お坊さん、阿蘇のお山まではあとどのくらいでしょうか」
「ここから三里登って一里下ったところですよ」
「お坊さん、ありがとう」

やがて娘たちは「写経ヶ橋」にたどり着き、順に橋を渡っていきます。
ところが七人の娘たちが渡り終え、いざマスヤの娘が渡ろうとしたところ、美しく結い上げた娘の髪の元結が、なぜか突然切れてしまったのです。
風もないのに娘の髪はバラバラにひどく乱れ、めかしこんだ髪が台無しになってしまいました。

立ちすくむ娘に、連れの一人が「手を引いてあげましょう」と対岸から手をのばします。
ところが米問屋の娘には、眼下を流れる川が猛り狂った大蛇に見え、足を踏み出すことができません。

「皆は先にお行きなさい。私は恐ろしくて渡ることができません…」

実はこの娘の両親が営む米問屋は、仕入れのときには大きな枡、売るときには小さな枡という二重枡で店を大きくしていたのでした。
親の報いが子にきたに違いないと人々は噂しました。

それからというもの、年頃の娘たちは、写経ヶ橋を渡って清廉潔白の証を立てなければ嫁にいけないと言われるようになったそうです。

*******


残念ながら今では、写経ヶ橋周辺はガス規制のため立ち入り禁止となっており、実際に渡ることはできません。
神の山としてあがめられる阿蘇を目前にして、静かな気持ちで祈りを捧げてみてはいかがでしょうか?
[2011.01.21(Fri) 09:14] 今日の奥之院 | Trackback(-) | Comment(-)
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